
豪徳寺の招猫殿。まだ写真に写っていない招き猫ちゃんは同じくらいいます
招き猫のお寺として有名な豪徳寺。インスタスポットとしても人気のようです。女子ばかりでなく、僕みたいなおじさんたちも一生懸命、招き猫の写真を撮っていましたよ!
本堂を素通りして招き猫スポットに向かう人を多く見かけました。笑
そして、豪徳寺から500mほど離れたところにある松陰神社。幕末期の歴史に興味ある人なら吉田松陰の名前は聞くだけで胸が熱くなる御仁もいらっしゃるのではないでしょうか。
安政の大獄から桜田門外の変につながる2人の運命

豪徳寺の三重塔(左)と仏殿
招き猫で有名な豪徳寺。実は、一帯は彦根藩の世田谷領だったところなのです。領主である井伊家の菩提寺もあるのです。
井伊家といって思い出すのは、第十三代に当たる井伊直弼。幕末の大老で、安政の大獄で知られますよね。
この安政の大獄で処刑されたのが吉田松陰です。
その井伊直弼も松陰と志を同じくする水戸藩士たちに襲撃され、命を落とします。桜田門外の変です。
言ってみれば、お互いに仇敵と言ってもいい間柄。二人ともこんなに近くだと死してなお落ち着かないのではないかなと思ってしまいます。
なぜ豪徳寺と松陰神社がこんなに近いのか

松陰神社の拝殿。受験生たちが多く参拝します
高杉晋作ら門下生が処刑後埋葬された小塚原刑場近くの回向院から世田谷の現在の場所に改葬したのが1863年。その後、1882年(明治15年)に松陰神社として創建されたものです。

松陰神社にある吉田松陰の墓所
片や豪徳寺の創建は1480年。松陰神社よりもずっと前からこの地にあります。
では、なぜ、吉田松陰はわざわざ憎き井伊家ゆかりの地の近くであるこの地に改葬され、松陰神社は創建されたのか。
これも数奇と言えば数奇なんでしょう。わざわざ豪徳寺の近くを選んで世田谷の地を選んだのではないのです。
松陰神社のある場所は、長州藩領だったのです。
こんなに広い東京の街に何もこんな近くで寄り添わなくてもいいのにと思ってしまいますが、今ではお二人とも膝を手で打ちながら熱く語り合っているかもしれませんね。
実は名君として知られる井伊直弼

豪徳寺にある井伊直弼の墓。歴代藩主の墓が並ぶ。直弼は13代藩主
井伊直弼といえば安政の大獄。もう悪役の代名詞みたいなイメージでした。昭和の子どもたちはそんなイメージで教わってきましたよね。
特に、僕が生まれ育った広島は長州のお隣。もともと長州藩の毛利家は広島にいたことからも広島には長州びいきが多いのです。多分。
小学校の修学旅行も萩でした。
でもでも実は、井伊直弼は思いやり深く真面目で、善政を敷いた藩主であったようです。そして、とても実直な人だったようです。
安政の大獄も当時の法律に実直に従っただけという一面もあるようです。
井伊直弼襲撃の動きも早くから察知されていたようで、警護の武士を増やすように周りからは言われていたようですが、江戸城出入りの際の警護の人数は決められていました。大老自らがその法を破るにはいかないのでかたくなに断っていたというのです。
そんなエピソードを知って井伊直弼の墓前に立つと、吉田松陰とは方向性は違えど、日本の国の行く末を案じて幕末を走った井伊直弼に手を合わさずにはいられませんでした。
ともに幕末に生まれてこなければ相まみえることもなく、お互いの悲劇は起こらなかったでしょうね。
豪徳寺では招き猫がおすすめ

豪徳寺の招き猫。願い事がかなったときには招猫殿にお返しします。僕が買ったのは下段右から3番目の「2号」です。お返しするのが楽しみ!
そんなこんなのお話はともかく、若い女の子が豪徳寺を訪れる目的は、何体あるのかも見当もつかない招き猫です。
みんなさまざまなアングルで写真を撮っています。そんな僕もこのブログのトップページの写真に使っています。笑
3年前に撮ったものですが、そのときはたまたまなのか、写真を撮っている人なんてほとんどいなかったような気がします。
今や全国で知られる滋賀県彦根市のゆるきゃら「ひこにゃん」は豪徳寺の招き猫がモチーフです。
2代目藩主の井伊直孝が門前の大木の下で雨宿りをしていたとき、手招きをする白猫に近寄ってみると、その直後、大木に雷が落ちた。この白猫のおかげで難を逃れたとして直孝は豪徳寺を井伊家の菩提寺としたというのです。そして、この白猫の逸話から招き猫が生まれたというもの。なので、ひこにゃんは実は世田谷生まれなのです!
招き猫は寺務所で買い求めることができます。そして、願をかけて、その願いがかなったときに、再びこの豪徳寺を訪れ、お返しするというものなのです。
もちろん、僕も財布と相談して、少し小さめの招き猫を買いましたよ!
松陰神社は学問の神様として有名

松陰神社に復元された松下村塾。本物はもちろん萩市の松陰神社にあります
吉田松陰が主宰した松下村塾。松下村塾はもちろん山口県萩市の松陰神社にありますが、ここ世田谷の松陰神社にも復元されたものがあります。

吉田松陰のメモ帳。会社で使ったら女の子にドン引きされました。でも、そんなの気にしません!
松下村塾の門下生には、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などなど、そうそうたる人物がいます。このことから学問の神として合格祈願に訪れる人が多くいます。
そこで、僕が買ったのは、大学受験に向けて準備を進めている高校生の長男への鉛筆。合格(五角)鉛筆です。何か湯島天神だったか、太宰府天満宮だったか、同じようなものをどこかで見たような気がする……。
でもいいんです! 幕末の大天才、吉田松陰にあやかり頑張ってほしいものです。

松陰神社の合格(五角)鉛筆
高校生って鉛筆は使わないかな……。
ということで、幕末の仇敵同士とも言える2人にまつわる豪徳寺と松陰神社。どうせこの地を訪れるのなら、歩いても10分ほどの距離。ちょっと無理してでも両方お参りするのがおすすめですよ!