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【広島県|御調八幡宮】道鏡の宇佐八幡宮神託事件にまつわる神気あふれる神社

広島県三原市の御調八幡宮

広島県三原市の御調八幡宮です。

全国的に有名な神社というわけではありません。

むしろ広島県外の方には無名の神社と言っていいと思います。

しかし、御調八幡宮の歴史は約1200年以上。とても古い歴史があり、神気あふれるとてもすてきな神社ですよ。

そして、奈良時代の大事件、弓削道鏡の宇佐八幡宮神託事件にまつわる神社なのです。

神気あふれる建造物と境内

御調八幡宮の石段から見上げる神門

石段から見上げる神門。歴史を感じさせます

御調八幡宮は、山陽自動車道三原久井ICから5分程度のところにあります。

しかし、集落からは大分奥まった、日ごろはあまり人も訪れないのではないかと思うようなひっそりとしたところです。

御調八幡宮から車で20分ほどのところにある臨済宗佛通寺派の本山仏通寺とともに一帯は佛通寺御調八幡宮県立自然公園として指定されています。

鳥居をくぐると、すぐに川にかかる屋根がしつらえられた橋があります。

屋根付橋から見る川の景色に癒やされます。

一帯は桜の名所、紅葉の名所としても知られています。

橋を渡って長く急な石段を登ると近づいて見えてくる神門の威容がハンパないです。神社の歴史と格の高さを感じさせ、境内への期待が否が応でも高まります。

御調八幡宮の神門

近くで見上げる神門は神々しいですよ

神門を通って境内に入ると、きれいに掃き清められた境内が広がり、神門から想像された、期待を裏切らない歴史を感じさせる立派な社殿が目に入ります。

こう言っては何ですが、広島県中山間地、人里離れた山の中にある神社としては似つかわしくないほどの威容を誇っています。

境内のご神木もとても太く真っ直ぐにそびえ立ちます。

とても神気あふれる神社です。鈍感な私でも分かります!

日がな一日のんびりして充電したい! そう思わせる神社です。

日本史上の大事件、宇佐八幡宮神託事件が関係

御調八幡宮の拝殿横から見る本殿

拝殿の横から見る本殿

御調八幡宮の始まりは奈良時代です。神護景雲3年(769年)孝謙天皇の寵愛を集め、権力者にのし上がった僧侶弓削道鏡が関わった日本史上の大事件「宇佐八幡宮神託事件」が関係します。

臣下でありながら自らが天皇になろうと画策した道鏡は、和気清麻呂を現在の大分県の宇佐八幡宮に送ります。道鏡が天皇になることの是非を神託によって了解を得て権威づけようとしたのです。

ところが、和気清麻呂は「道鏡を天皇にしてはならない」との神託を持ち帰ります。

怒った道鏡は、和気清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させ大隅国(現在の鹿児島県)へ配流。姉の和気広虫は、別部広虫売(わけべのひろむしめ)と改名させられ、後にこの御調八幡宮の鎮座する地となる現在の広島県である備後国へ配流となったのです。ひどい!

和気広虫が宇佐八幡宮を勧進し祀ったのが御調八幡宮と言われています。

後に孝謙天皇が亡くなり、後ろ盾をなくした道鏡が失脚すると、和気清麻呂と姉の広虫は帰京を許されることとなります。

ちなみに、和気清麻呂は明治時代の10円紙幣の肖像として登場します。

和気清麻呂の肖像が使われた明治期の10円札
出典:国立印刷局 https://www.npb.go.jp/ja/intro/faq/index.html

明治30年の貨幣価値を現在に換算すると、差は3800倍というので、当時の10円は現在の3万8000円にもなります。

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現在まで紙幣の肖像として使われた人物は17名。和気清麻呂は、その一人になるほどの功績を成し遂げた人物としてとらえられているとともに、宇佐八幡宮神託事件がいかに日本史上の大事件であったかをあらわすものなんでしょうね。

現在までにお札の肖像になった人物は17人だけ。その中に和気清麻呂が
出典:国立印刷局 https://www.npb.go.jp/ja/intro/faq/index.html

「広虫さん、関係なくね?」なんて言わないでください。そんなことはありません。もともとは広虫が宇佐八幡宮へ派遣される予定でしたが、体が弱かったため弟の清麻呂に託したものでした。

この事件が起こり、和気清麻呂が道鏡の企てを阻止する神託を持ち帰らなかったら現在の日本はなかったかもしれないのです。

そして、御調八幡宮もなかったと言えるでしょう。

現代においてはなかなか理解しがたい事件ですが、神の力が強く政治に影響を及ぼし、また、利用された事件なんでしょうね。

豊臣秀吉も参拝した神社

御調八幡宮の拝殿と神楽殿

拝殿(左)と神楽殿

御調八幡宮は、その後、保元3年(1158年)には石清水八幡宮の別宮となり、さらに後には備後国の総鎮護として大変に栄えたそうです。

天正年間(1573~1592年)には、豊臣秀吉も訪れ参拝し、境内に桜の木を手植えしたと伝えられています。現在ではその桜の木は朽ちた切り株を残すだけだそうです。これは気づきませんでした。看板でも出してくれればいいのに(あったのかな?)

秀吉が御調八幡宮を訪れたのは、三原城に宿泊していたとき。三原城から御調八幡宮までは車でも約20分。直線距離で10kmも離れています。

わざわざ訪れたのか、通りがかりなのかはわかりませんが、当時は栄えていたという御調八幡宮一帯。気に入ったからこそ桜の木まで自らの手で植えたんでしょうね。

御調八幡宮まとめ

御調八幡宮の神庫は茅葺屋根

茅葺屋根の神庫。緑の光の帯は光の加減でしょう

広島県の山の中にひっそりと鎮座する神社です。有名な神社にはない静かな雰囲気ながら神気あふれるたたずまいの中、ゆっくりと過ごしてみたい方におすすめの神社です。

御調八幡宮は、桜の名所、紅葉の名所として有名です。夏であれば、車で20分ほどかかりますが、自然の川のすべり台で知られる「三郎の滝」がありますよ。

三郎の滝の記事はこちらから。

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