明治維新で日本の首都は京都から東京へと移った。以降、令和の現在に至るまでずっと東京が首都である。
なんて思っていませんか?
ところがどっこい、明治以降において東京以外でも首都になった都市があるんです!
それは何と! 我らが広島なんです!(声高らかに、誇らしげに)
明治27年の日清戦争の兵站基地に
広島が首都だった!というと、「おまえ、頭大丈夫か?」と心配されてしまいそうですが、こういうことなんです↓
明治4年(1871年)、広島城本丸内に鎮西鎮台第一分営が置かれ、後に広島鎮台となり、明治10年(1877年)には鎮台司令部の庁舎が建設されました。
もうこのころには軍都としての歩みが始まっていました。
明治27年(1894年)から始まった日清戦争のときには広島大本営となります。この大本営跡は現在でも保存されています。
当時、鉄道は東京から山陽本線の広島まで開通していたところでした。
東京からの大動脈です。
さらに、広島には宇品(うじな)港という大きな港もあります。
昔から城下町として栄え、農水産業も盛んで食料に困ることもない。
さらにさらに、当時の広島には最新鋭の缶詰工場があったのです。
清への物資、食料などを送り込む兵站基地としてはうってつけの都市です。
当時の状況としては、広島一択でした。
国家元首である明治天皇がご行幸、お住まいに
しかし、兵站基地となっただけでは首都とは言えません。
現在、首都と言われている東京も法律で明確に決められているわけではないんです。
東京を首都たらしめているのは、天皇陛下がお住まいになり、首都機能が東京にそろっているということなんですね。
大日本帝国憲法下では、天皇が軍の統帥権を持っていました。
作戦の決定をそのたびに東京の明治天皇にお伺いするわけにはいきません。
大元帥御自ら前線近くまでお越しになり指揮する必要がありました。
そこで明治天皇が広島にお越しになったのです。
明治天皇の行在所(あんざいしょ)は広島城天守閣のすぐ近くに定められました。
ご休息になったとか、ご静養なさったとか、お泊まりになったとか、そんなもんじゃありません。
明治天皇は、いっとき、広島にお住まいになったのです。
現在も広島城の南側、広島市立図書館の北側の歩道に「聖蹟明治天皇御用ノ井」として保存されています。
広島の人はもっと誇りに、そして自慢していいと思います!
しかしながら、僕はこの話、小学生のときも、中学生のときも、高校生のときも学校で教わることはありませんでした。
こんなすごい話、何で学校で教えてくれなかったのでしょう。
広島で国会(帝国議会)を開催!
そして、もう一つ、広島が首都だったと言える大きな根拠があります。
それは、広島で国会(帝国議会)が開かれた!です。
これはもう決定的です。
明治天皇がおわす広島でしか当時の国会は開催できません。臨時軍事費予算案を可決するために延期するわけにもいきません。
そこで、当時の国会議員が広島に召集され、臨時国会という位置付けでは国会が開かれたのです。
国会議事堂も急きょ建設されたんですよ。
設計から竣工まで、工期はたったの20日間。急ごしらえ、突貫工事、不眠不休。秀吉の墨俣城ばりですね。
広島臨時仮議事堂というんだそうです。
臨時とはいえ、国会議事堂を有し、国会まで開かれた自治体は広島だけですよ。
当時の様子が参議院のホームページに掲載されています。
まとめ
広島が首都だったという事実、びっくりですよね。
広島は中四国で一番人口の多い都市であるし、カープ、サンフレッチェというプロスポーツのチームを有しているし、マツダという自動車メーカーもあるし、おらが村が一番という意識のとても高い県民性です。
広島が首都だったという事実が広まれば、ますますその自意識過剰な県民性に拍車がかかるのではないでしょうか。(愛を込めての笑)