海に浮かぶ朱色の厳島神社と沖に屹立する大鳥居。後背には緑の山が屏風のごとくそびえ立つ。
日本三景安芸の宮島の象徴的な景色です。
この美しき光景には一つの大きなポイントがあります。
厳島神社に向かって左側の小高い山の上に立つ巨大な寺院風の建物と美しい五重塔。
どちらも国の重要文化財であり世界文化遺産、そして安芸の宮島を形づくる重要な歴史的建造物。
千畳閣は宮島でもトップクラスのくつろぎスポットです。
豊臣秀吉が建てた千畳閣

千畳閣の西側入り口。長さ28.2mの入り口側(短辺側)。長辺側は46.2m
五重塔と一緒に見える巨大な木造建築。これは、豊国神社、通称千畳閣と呼ばれます。
桁行13間、梁間8間、建物の長辺側は46.2m、短辺側は28.2m、高さは17.4m。公立小学校の体育館くらいの大きさは優にあります。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が発願し安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。戦没者のために千部経を読むためのものです。堂内の広さは857畳もあることから千畳閣と呼ばれるようになりました。
8畳半を10畳と称して不動産売買を行うと違法ですが、857畳を1000畳と称しても誇大広告には当たらないでしょう。ケタが違う広さです。時効でもあります。

千畳閣の内部。天井なく梁もむき出しのまま。奉納された額も巨大
秀吉の死により建設は中止。畳が敷かれることはなく、戸や間仕切り、襖、障子、そして、天井さえありません。何と、未完成の建物なんです。
なのに、この威厳、存在感、そして未完成の美。建設中止から400年以上、千畳閣はその存在意義を少しも失うことなく厳島神社を見守っています。

黒光りする千畳閣の床。ぜひ腰を下ろしてくつろいでみましょう(寝転ぶのはNG)
お経を読むためのお堂ですからもともとは仏教施設です。

千畳閣の中央にある祭壇。両脇には巨大なしゃもじ
明治元年、神仏分離令により仏像は同じく宮島にある大願寺に移され、豊臣秀吉を祭る豊国神社となり、同時に厳島神社の末社となったのです。
千畳閣の満喫の仕方

暑い夏は快適なひとときを過ごせます。冬はやはり寒い!
千畳閣は建物内に入って拝観、参拝ができます。
拝観料100円です。(小中学生50円)
入り口で履き物を脱いで、渡されたレジ袋に入れて上がります。
千畳とはいいますが、畳は敷かれていません。板の間のままです。
気が遠くなるほどの年月に磨かれ、年輪が浮き出て、所どころ接木をして大事に使われてきた板の間は驚くほど気持ちいいですよ。
体に溜まった磁気やら邪気やらあれやらこれやらが足の裏が放出されているかのようです。
そして、からっからに乾燥した古材の凸凹感を心地よく感じながら、足の裏からどんどん力がみなぎってくるような感じがします。

縁側の気持ちよさは格別です
壁や戸が一切ないので、年中吹きっさらし。常に瀬戸内の潮風で浄化されているんでしょうね。
ひろーい堂内。往来の邪魔にならなければどこに座ってもいいようですが、厳島神社側の縁台がやはりおすすめです。
857人が一度に入っても1人1畳ありますからね、余裕の広さです。

千畳閣の丘から見た厳島神社
厳島神社を眼下に見下ろし、目を上に見やれば弥山の稜線が連なります。
もちろんもう一方、反対の海側の縁台もすてきですよ。
五重塔は室町時代の建築

室町中期建築の五重塔
一方、千畳閣のすぐお隣にそびえ立つ五重塔。こちらは室町時代中期の応永14年(1407年)建築です。
檜皮葺が美しく、和様、唐様の合わせた優雅な塔で、国重要文化財に指定されています。
江戸時代以前に建てられた現存する五重塔は全国に22基のみです。
その中で広島県には宮島の五重塔と福山市にある明王院の五重塔(国宝!)とともに2基あります。(広島自慢)
千畳閣とともに丘の上に立つのでひときわ目立ち、宮島の美しさの大きな要素と言えます。

丘の下から見上げた千畳閣と五重塔
塔の中に入ることはできません。千畳閣と同じく中の仏像は全て厳島神社隣の大願寺に移されています。
まさにがらんどうで神様も仏様もいらっしゃらないと思いきや、塔内の壁に仏画が描かれています。
ありがたく手を合わせましょう。
まとめ

縁側の下は反対側まで歩いていけます
宮島(厳島)を訪れる人は年間約450万人。そのほとんどが厳島神社を参拝します。
多いときには拝観受付のために長い行列ができることもあります。
しかし、そんなときでも千畳閣と五重塔が混み合うことはありません。
どこもが混み合っているときは、ちょっと気分を変えて千畳閣と五重塔がおすすめです。
宮島でも指折りと言える絶景を楽しめますよ。