山口県萩市の松陰神社です。
山口県萩市のとわざわざ書いたのは、東京都世田谷区にも松陰神社があり、当ブログでも紹介したことがあるからです。
主祭神は吉田松陰の神。幕末を代表する思想家、教育者です。
学問の神様として参拝する人が多い神社です。
境内にある松下村塾と吉田松陰幽囚の地は世界文化遺産です!
吉田松陰ファンなら参拝を
幕末の志士にはファンが少なからずいますよね。
坂本龍馬ファン、土方歳三ファン、高杉晋作ファンなどなど。
その中に吉田松陰ファンも少なからずいらっしゃいます。
私も「ファンというほどではないけど」と前置きして好きな歴史上の人物です
小学校の歴史の授業でも吉田松陰について語るときは、先生の熱量が少し高めだったことを覚えています。
松陰が幕府によるお咎めも恐れず、黒船に乗り込み渡米しようとするくだりでは、「君たちも吉田松陰のように……」などと先生がおっしゃった記憶があります……。
主宰した松下村塾からは、伊藤博文、木戸孝允、久坂玄瑞、高杉晋作などなど、多くの幕末の志士、明治維新功労者を輩出し、自らは29歳の若さで安政の大獄により処刑され、命を落としました。
偉大なる教育者として知られることから学問の神様としても知られ、多くの受験生が合格祈願に訪れます。
明治以降、実在の人物が神様として神社まで建立されて祀られる例はそんなにはないのではないでしょうか。
明治天皇と昭憲皇太后を祭る明治神宮は別格中の別格として、有名なところでは、日露戦争でロシアを破った乃木希典大将の乃木神社、東郷平八郎元帥の東郷神社でしょうか。
吉田松陰は歴史においてもスペシャルな存在なんですね。
東京の松陰神社の8年後に創建
今回、萩の松陰神社を20年ぶりに参拝しました。そして一つ驚いたことがありました。
萩市の松陰神社が先に創建されて、何年か遅れて後に、東京にも松陰神社が勧請されたと思っていました。いや、萩のほうが先なのは当たり前で、東京のほうが先だなんてことは考えもしていなかったと思います。
萩市が松陰の生まれ育ち、活躍した場所なので、萩市の松陰神社が本家本元だと。あまり考えもせず、雰囲気的に。
しかし! 調べてみると、東京は世田谷の松陰神社のほうが8年早い創建です。
吉田松陰は安政の大獄で処刑され、その後、処刑された者や無縁仏を供養する小塚原(現在の荒川区南千住)の回向院に葬られました。
(安政の大獄を主導した井伊直弼の菩提寺、墓は世田谷の松陰神社の近くにあります。その記事はこちら)
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その4年後の文久3年(1863年)、教え子である高杉晋作らによって長州藩主の別邸があった現在の世田谷区若林に改葬、神社が創建されたのは明治15年(1882年)です。
初めて世田谷の松陰神社を参拝したときに「なぜ萩ではなく東京に墓があるのだろう」とちょっと疑問に思ったくらいでした……。
安政の大獄で処刑されたのは東京(江戸)、松陰の教え子たちが明治維新で活躍したのも東京です。
一方、萩の松陰神社は、東京の松陰神社が創建されて8年後、松陰の死後30年、伊藤博文や野村靖など、松陰の教え子たちが師の貢献を偲び、松下村塾や松陰か幽閉されていた旧宅などがある松陰の実家跡に建立されました。
当時の伊藤博文は既に総理大臣を4回も歴任した超大物中の大物ですからね。何とでもできます。
広島出身の私にとって山口は昔なじみのお隣さん。何となく山口びいきなので、何度も参拝したことのある松陰神社が東京の松陰神社の後にできたことは、軽いショック、ちょっぴり負けた感じのする悔しい歴史上の事実でしたが、考えてみれば自然な流れだったんですね。(子どもっぽい感想ですみません……)
見どころ多い境内
そんな萩の松陰神社ですが、本殿、拝殿以外にも境内、敷地内には見どころがたくさんあります。
まずは何といっても松下村塾でしょう。世界文化遺産です。東京の松陰神社にも松下村塾はありますが、復元したものです。(ここは萩に軍配)
やはり本物の持つ重みやすごみを感じます。ここに吉田松陰がいて、伊藤博文、高杉晋作、久坂玄瑞、黒田清隆などが新しい日本を夢見て羽ばたいていったのです。
萩に来て、松下村塾を見ることなく帰るのは、宮島に行って厳島神社に行かない、浅草に行って浅草寺に行かないと同じくらいのことです。
ぜひぜひ、行ってみて、見てみて、感じてみてください。
吉田松陰が幽閉されていたのが吉田松陰幽閉の地です。(そのまんま…)
こちらも世界文化遺産です。
幽閉されていたといってもかなり広いお宅です。私の住まいより何倍も広いです。テレビとスマホさえあれば何年でもいられそうです。
ちょっと変わった異色なのが吉田松陰歴史館です。
吉田松陰の人生を20場面に分け、説明板と音声ガイドで説明しているのですが、全て等身大の蝋人形で再現されているのです。
とてもリアルです。リアル過ぎて蝋人形が動き出しそうで、一人では見学したくないくらいです。
日本史の教科書から消えた吉田松陰
吉田松陰と言えば、山口県下では、いくら日本史が苦手だった人でも知らない人はいないほどの英雄です。
そして、広島市で生まれ育った私にとっては、小学校の修学旅行で知る幕末の偉人だったのです。(昭和50年代、広島市の公立小学校の修学旅行先はほぼ萩市でした。多分ですが)
今回は小学生の息子も同行しました。ちょうど学校で習っている歴史の勉強に役立つだろうという思いもありました。
しかし! 息子は吉田松陰を知らないと言うのです。教科書にも載ってないと。
最初は息子の不勉強を疑いました。「教科書に載っていることくらいは知っておかないとな」なんて偉そうに言って。だけど、調べてみると本当に吉田松陰は歴史の教科書から姿を消していたのでした! 吉田松陰だけではなく坂本龍馬も!
思えば、仁徳天皇陵が大仙古墳なんて名前になっていたり、安藤広重が歌川広重になっていたり、はたまた和同開珎が日本最古の貨幣ではなくなったり。さらには、明治維新という言葉さえなくなろうとしているのです。
歴史も動いているのです。しかし、吉田松陰が教科書から消えるなんて……。
松陰神社まとめ
多くの幕末の志士を生んだとも言える吉田松陰を祀る神社です。萩市の観光では外せないスポットでもあります。
薩摩、土佐、肥前とともに明治維新に大きく貢献した長州。松陰神社は、吉田松陰の志を受け継いだ志士たちの鼓動を感じられる特別な聖地です。
そして、明治維新を学べる神社です。